創業者であるサンカの先生の思いとは? 〜3つの疑問から生まれた1つの取り組み〜 ※下記3つのうち②の「☆」のストーリーが創業動機の大枠を占める
疑問①:大問題児時代の教育体験に対する疑問:
「先生、僕はどうして勉強をしないといけないの?」
┗>「いいからドリルやりなさい。」
小学生の頃から僕は勉強が大嫌いだった。いや、勉強が嫌いというよりかは、人から指図・命令されたりすることが嫌いだったのかもしれない。おかげさまで常時先生に反抗し、校長室にも呼ばれるような大問題児であった。
僕は分からなかった。「なんで、こんなつまらない勉強をしないといけないのか?」「なんで、席に座って先生の話を聞かないといけなのか?」「なんで、先生の言うことを聞かなくてはならないのか?」こんな「なんでなんで少年」の机は、廊下の外に置かれることもあった。なぜなら授業を妨害するからだ。「よくみんな黙ってじっと先生の話を聞けるよな〜」と感心したものだ。
そんな少年も英語の先生を目指すようになる。母親が学校の先生を目指していた影響もあると思うが、先生に大変面倒をかけ、お世話になったことも1つの要因かもしれない。
そして、教職免許を取得するために大学に進学する。本格的に教員を目指すようになってからは、過去大嫌いだった勉強も自主的に行うようになっていた。「自分はどんな教育を提供し、どんな教員を目指すべきだろうか?」と自分が自分の生徒だった場合を想定し、理想の教育像・教員像を整理してみました。
その結果、過去に疑問を持って受けてきた教育とは真反対の教育像が出来上がった。それは「生徒が先生になること」である。「先生の言うことを一方的に聞く」ではなく、「生徒自身が先生のように人に教える」そして、全員が先生となり、”教え合いの文化”が形成されることである。その結果、人に教える前提で知識をインプットしていくため、自分はどこが分からないのかが明確になるし、何よりやりがいを感じ自ら進んで学習するようになると考えたのだ。また理想の教員像としても、自身が何かを”一方的に教える”ではなく、”問いを投げかけて自分自身で考えさせる”ことが教員の役割として重要なのではなかろうかと考えた。その”自分自身で考える習慣”が身につくことで、自分の人生を自分で切り開けるようになるのでは無いかと考えた。
そこで私はこの考え方を基に、現役教員である数人にアポイントを取り、理想の教育像について話をしてみた。するとどの教員の方からも「いいね!」という反応はもらえるが、「ただね…」というフィードバックをもらった。いわゆる教員は、学習指導要項に従った教育を行わないといけないため、自身の理想教育を学校で行うことは難しいとのことであった。「自身が疑問を持ってきた教育を自分が提供する話になるのか?無理だな」と。
そこで私は、教員を目指すことを辞めて、旅に出ることにした。旅といってもフィリピンのセブ島への留学だが…
疑問②:☆ストリートチルドレンとの出会いによって生まれた疑問:
「お金ちょうだい」小学校低学年ぐらいのセブ島にいる男の子からの言葉であった。
大学1年生のころ、私は2週間フィリピンのセブ島に短期留学に行った。
「英語力を身につけたい!」という自己成長的観点もあったがどちらかというと、好奇心から「知らない世界を知りたい!」ということで、思い切って飛び立った。
空港に降り立つと東京とは大きく異なり、異国感をものすごく感じた。
空港から都心部の方に向かうと、大きな複合型施設や高層ビルなどが立ち並んでいた。
私が生活していたのは都心部から少し離れた郊外にある場所であった。名前は忘れたが、住宅街に入る際にゲートがあり、門番さんがいるような場所であった。
ある日の日中、私は住宅街の外がどうなっているのかが気になり、スーパーに行きがてら周辺を散歩することにした。
自身が過ごしているエリアから少し離れると、そこには異様な景色が広がっていた。
道路がコンクリートではなく、未舗装の状態
家は剥き出しの木材でできた今にも崩れそうでボロボロな状態
砂で汚れてボロボロになったTシャツを着て、裸足で歩いている子供
土で薄汚れた野良犬
大学1年生の頃の私にとっては衝撃的な風景であった。
そんな町並みを見ながら歩いていると、あるグレーのタンクトップを着た男の子(多分、6歳ぐらいの小学低学年ぐらいの子だろうか)が両手を差し出して、一言。「お金ちょうだい」と。しかも日本語で。
私は固まってしまった。「私はどうすれば良いだろうか…」と。英語で会話を試みるも両手を突き出すのみ。思うに英語が分からなかったのだろう。にも関わらず、日本語で「お金ちょうだい」って。「私が日本人だと良くわかったな」とも思った。彼の服装や足元を見ると貧しい家庭で暮らしているだろうことが容易に想像がつく。てかそもそも彼に親はいるのだろうか?6歳ぐらいの子供が1人で観光客に声をかけ、お金を集めて回るのだろうか?日本では考えられない出来事に私は戸惑った。そして彼と同じように声かけしている子供が他にも何人かいた。
結局、私は彼に少額ではあるが、渡すことにした。そして彼は私が渡したお金をポケットにしまうと再び両手を突き出し「お金ちょうだい」と言う。その様子を見て、他の子供達も集まってきた。手を差し出して「プリーズ、プリーズ!」と迫ってきた。私は恐怖を覚えた。
その様子を見た通りがかりのバイクのお兄さんが「後ろに乗って」と言い、その場から離れた。
「Be carefull」。バイクから降りる時に一言、そのお兄さんから言われた。
家に戻り、スタッフに「今日こんなことがあった」と話をしてみると、表情が変わり、「Are you serious?」と、少しピリついた雰囲気となった。話を聞くと、自分が行ったエリアは、いわゆる「スラム街」と呼ばれる貧困層の人々が集まるエリアであり、犯罪やトラブルが頻繁に起きる場所だという。そこに住む子供たちはストリートチルドレンと呼ばれ、観光客に声をかけては明日生きていくためのお金を稼いでいるとのことである。
なるほど、だからバイクのお兄さんは最後「Be careful」といったのかと合点承知した。
そこから私はセブ島のストリートチルドレンについて調べてみた。そしてストリートチルドレンの中にも色々と種類があり、親がいて親の生活費のサポートをするために活動している子もいれば、親から見捨てられ、同じような境遇の子供達と集まって活動している子供達もいるという。そのような子供たちは学校に通うことができていないとのこと。具体的に説明すると、複数の子供がいる家庭では、親は将来自分の面倒を見てもらうために、優秀な子供を学校に通わせる一方、そうでない子供は出稼ぎに出すか、家から追い出すという。親にはその子供たちの面倒を見る余裕がないためである。
「現実社会でそんなことが起きていたなんて…」「非情だ」と私は感じるが、ただそのような境遇の親からすると生きていくためには仕方のないことなのかもしれない。私は、「セブ島で会った、あのグレーのタンクトップの子のようなストリートチルドレンの子供たちに向けて、何かできることはないだろうか?」と考え始めるようになった。それが後述するOusiaプロジェクトに繋がってくる。
日本に帰国し、この衝撃的な体験を踏まえて、「自分は何ができるだろうか?」と考え始める。
考えた結果、やはり再び教育に帰ってきた。ただ教育と言っても、以前のような学校教員ではなく、「自身で新しく教育機関や教育サービスを創ろう」という発想に変わっていた。
そこでまず、「どのような教育サービスを立ち上げようか」というところから、一番身近な日本の教育システムの歴史についてまずは調べることにした。
疑問③:現代の日本教育の仕組みに対する疑問:
現代日本の教育システムに対して、私は様々な疑問を抱いていた。
「なぜ、5科目の学習をしなくてはならないのか?」
「なぜ、受験するときの評価がペーパーテストの結果なのか?」
「なぜ、自身の将来について考える時間が、5科目の学習時間と比較して圧倒的に少ないのか?」
「なぜ、小中高までは先生の言うことを聞いていれば良かったのに、大学からは自身でカリキュラム設計や将来設計を行うようになるのか?」
「なぜ、戦後から今の日本の教育形態(いわゆる学習指導要項を軸とした知識伝達教育)は変わっていないのか?」
上記の問いから調査を進めた結果、私なりの答えが以下である
日本社会の税収システムより、労働者育成学校の形態となっている ※あくまで個人の仮説である。データや資料からの情報ではなく、自身が税収について考える担当者だったらどう考えるかで記載している。
日本は税収に大きく依存している国家である(61%が租税、31%が公債金)
会社員が所得税の大宗を占めている
産業革命以降、工場労働者育成に重点を置かれてきた。
工場側が求める会社員像として、組織のルール・マニュアルに忠実に従い、上司の指示・命令の下、適切な行動ができる人材である(徐々に主体性が求められてはきているが、まだまだ官公庁や大手企業はトップダウンの構造をとっているところが多い印象)
組織や上司の指示に忠実に従う人材を育成するために、学校では”先生”を配置し、生徒が先生の指示に従うトレーニングを行っている
先生からは勉強することを指示され、相対的かつ定量的に評価するために「⚪️×ペーパーテスト」がなされる(学力を測っていると言うよりかは、どのぐらい社会に忠実な人物かをテストしているという印象)。
また個別教育ではなく、集団教育がとられている背景としては、組織に属した際に利己的ではなく、利他的かつ調和を大切にして、協調性を養っていくためと考える。(現実的なコスト削減の観点や人的リソース不足の観点もあると思うが)。その結果、個性発揮よりも集団同調が良しとなされていると考える。
=「労働者育成学校」の現状であると考える。
また現在の教育機関での人材育成方針と、現代社会が求める人材との間に矛盾があるのではないかとも感じている。
過去の高度経済成長期で求められていた人材は確かにブルーワーカーと呼ばれる肉体労働者や単純作業者であったため、均一的な集団教育・前習え教育で良かったかもしれない。果たして現代においてはどうだろうか?IT化が進み、VUCAと呼ばれる変化の激しく、先が読めない時代となってきた。その結果、社会で求められる人材もブルーワーカーからナレッジワーカーと呼ばれる知的労働者のニーズが年々増えてきていると考える。にも関わらず、現代の教育システムは大きくは変わっていない。
その結果、日本はどうなっただろうか。1つの指標として企業の時価総額ランキングを上げると、
1989年代、トップ10企業の内、日本の企業は7社ランクインしていた。
2023年代、トップ10に入った日本企業はなく、日本の中でのトップがトヨタ自動車であり、そのトヨタでさえ39位という結果である
そして現代のトップ10企業のうち5社はテクノロジー領域の企業、いわゆるBIGテックである
BIGテックに限定すると求められる人材は主にナレッジワーカーである。日本は今の時代の流れについていけているのだろうか?ついていけていないとしたら何が原因なのだろうか?考えた結果、やはり「教育」であるという結論が出た。
上記から、私は現代に必要な能力は、「与えられた問題を解く力」ではなく、「正解のない問題に対してどのように解決策を考え出す力」、さらには「何が問題なのかを見極める力」だと考えている。このような問題解決力ではなく、問題発見力の向上に焦点を当てた教育サービスを提供するため、私は「家庭教師サービス ウーシア」を立ち上げた。
内容としては、一般的な家庭教師として5科目を教えるだけでなく、一緒に外に散歩に出かけ、「どうしてあそこにコンビニができたのかな?」「なぜあの子は一人で公園で遊んでいるのかな?」「あのベンチに座っているおじいちゃんは何を考えているのかな?」と、目に映る光景を問いかけとして子供に投げかけ、自分なりの答えを考えるトレーニングを行っていた。その過程で、子供自身が自分で問いを立てる習慣を身につけ、問題発見力を向上させるアプローチを取った。
ただある時ふと思ったのが、自分と関わった子供達の変化は確かにあったが、今の教育サービスのビジネスモデルでは、自身の影響を与える範囲に限界があると感じた。それでは日本社会は、このまま衰退していく一方であると考えた私は、根本的に日本の教育システムを変える必要があると考えた
そして、「どうしたら今の教育システムを変えられるか?」を考えた結果、以下2つの方法しかないのではなかろうかという結論に至った。
自分が総理大臣となる(文科省の方で原案を作成することになるが、最終的な権限は総理大臣にある※もちろん国民の意見を聞いた上ではあるが)
国が動かざるを得ないような教育サービスを立ち上げる
上記より、1つ目の「今から自分が総理大臣になること」は、膨大な時間を要する(一流大学を卒業し、国家公務員となり、長い年月をかけて実績を積み上げていく必要がある)ため、却下。残るところは2つ目の「国を動かすほどの影響力を持つ教育サービスを立ち上げる」というところから、Bigテックを思い浮かべ、「世界を巻き込む教育サービスが創れないだろうか?」と考え始める
Ousiaプロジェクト始動:
上記3つの疑問から、「世界を巻き込む教育サービス」について考えるようになる。
そしてある時、「メタバース」という「インターネットを通して、世界中の人々と繋がることができる3次元空間の概念」を知った時、「これだ!」と思った。「メタバースであれば世界を巻き込んだ教育サービスが創れる!」と考えたのである。そして、「メタバースであれば、いつでも、どこでも、誰でも教育にアクセスできる世界を創ることができるのではないか?」と。
そこから「教育の民主化」、つまりは「いつでも、どこでも、誰でも自分の受けたい教育が受けられる世界を創造すること」というビジョンが誕生した。
そのビジョン実現のために立ち上がったが、「メタバースだけではまだ何かが足りない」と思った。その何かというのは、
法人を設立して、メタバースを活用した教育サービスを展開するだけで、1つの民間企業が果たして、世界中の人々を巻き込み、強いインパクトを与えるような教育サービスを創ることができるだろうか?
例えば、メタバースの学校を無料で展開しただけで、あのグレーのタンクトップの子のようなストリートチルドレンたちは、教育にアクセスできるようになるだろうか?
私の結論としては「否」と考えた。では上記2点を踏まえて、改めてどのような教育サービスを構築すべきかを考えた際に、「メタバース×DAO×トークンエコノミー」であると考えた。つまりは、下記のように考えたのだ。
1つの民間企業としてではなく、DAOのように、ビジョンに共感した世界中の全ての人々を巻き込みながら、メタバースの学校を創り上げていくことで、結果として、世界的に大きなインパクトを与えることができるのではなかろうか。
無料で展開するだけでは、ストリートチルドレンの子は教育にアクセスすることができないと考える。なぜならば彼らは今日・明日を生きていくための水や食べ物などを手に入れるため、お金を稼がねばならないからだ。また彼らは高価な電子デバイスなどは持っていない。そのため、そもそもインターネットにアクセスできないという問題もある。ではどうするか?私の回答はそれぞれ下記である
Learn to Earnのトークンエコノミーの構築、つまりは、学べば学ぶほどお金を稼ぐことができる仕組みを構築することだ。その結果、今日・明日生きていくための水や食料を、メタバースの学校に通いながら、稼ぐことができる。そうすることで、ストリートチルドレンの子供達も教育にアクセスできるようになるのではないかと考えた。
また、デバイス未所持によるインターネットアクセス不可の問題については、Ousiaが現在構想しているスペースシェアリングサービス「LearnHop」との連携を考えている。つまりは、一般家庭がホームスクール、いわば”学校”となり、その”学校”にデバイス(PC、スマホ、VRデバイス等)を貸し出すことで、そこに通う子供達がメタバースの学校に通うことができるようになると考えた。
上記2点から、大学時代に出会ったグレーのタンクトップの子もOusiaを通して、教育にアクセスできる状態になる、つまりは全世界の20億人の子供たちが教育にアクセスできる状態となると考えている。
以上がOusiaDAOの創業ストーリーである。
OusiaDAOにご興味を持っていただけましたら、ぜひ下記Discordからご気軽に参加ください!
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